38さいの独り言PART 3


でぃびじょん5 1998/9/30『天災だぁ〜』お客様にはご迷惑をおかけしております。』の巻
わたしのお仕事は、前にも書きましたが図面書きを生業としております。ここのところ、ほんとに我が身に降りかかった天災(災難)について書きたいと思います。この前の台風は皆様も記憶に新しいと思いますが、わたしの不幸はその台風が原因です。私どもの外注先はその殆どが福島県と宮城県に御座います。まず最初は、当社の電気関連の組立をされている会社(白河市)から始まりました。朝一番で電話が鳴り、取ると、『〇〇電子です。会社が大変で納期が遅れそうです。』『どうしたんですか?』『雨がすごくて会社が水浸しに成りました。』『どの程度の被害ですか?』『わかりません』『わかりませんってどういう事ですか。お宅の会社ですよね。』『近寄れないんです。』『もっとわかりやすく説明し て下さい。』『水の上に屋根だけ見えます。』『ご説明、大変わかりやすかったです。........』その日2本目の電話です。ジリリリ〜ン『はいジェイネットです。』『〇〇金属です。川が氾濫してメッキ漕が流されました。納期の件ですけど....』次の日の一本目の電話です。『〇〇機械製作所です。』わたしは、”ブルータスお前もか”という気持ちになり、『水浸しに成ったとか、流されたとかって話じゃないでしょうね。』と、思わず、口から出てしまいました。『いいえ水は何でもなかったのですが屋根が吹き飛ばされてしまいまして、納期の件何とかならないでしょうか?』ちなみにこの会社のあるところは宮城県の”ゆりあげ”というところで、近くの橋では、4トントラックが風で橋から飛ばされ運転手もろとも阿武隈川に落ちました。朝来たら、『 会社の屋根が無くなっていた』というこの会社の社長に文句も言えず、おかげで、それからというもの客先から電話があるたびに『すみません』『申し訳御座いません』の連発で近頃は、電話を取るとパブロフの犬のように条件反射で謝ってしまいます。確かに納期が遅れたのは、台風のせいなんですけど、客先にそれを理由にするわけにもいかず、外注と客先に挟まれ、大変な思いをする今日このごろです。


でぃびじょん6 1998/10/5『ばちあたり。』誉め言葉かと思ってました。
小さい頃から、お化けとか幽霊とか死人とかあまり、恐いと思った記憶が御座いません。それよりも小さい頃は、お葬式などに参列される方々の表情や仕草を微に入り細に入り見ている方が好きでした。みんな慎重な面持ちで参列しているのにひとたび、式場を離れると好き勝手な事を言っている状況に子供ながら、大人の世界というのは、『挨拶と気持ちは違うんだな』と、感じておりました。そんなある日、祖父の姉が亡くなり病院から無言の帰宅となりました。普段は、来た事もないくせにひょっこりと現れた母の従兄弟(当時30歳ぐらいでした。)が真剣な表情で布団で白い布をかぶっている遺体に向かい合掌し、180度回転して親族や遺族に挨拶をしている姿に妙なおかしさを感じ、そんなに会いたかったのならと、そっと布団を剥ぎまだ硬直していない遺体の手を持ってその手で『良く来たなぁ〜』と言いながら背中をなぜてあげました。その途端、死人に背 中をなぜられた母の従兄弟は、3メートルぐらい前に飛んでお膳におでこを打ちつけておりました。周りからは、『このばちあたりが。』と怒られましたが、何故か反省する気にはなりませんでした。父方の祖父のお葬式では、火葬場で、焼いている間に、焼き場の職員が振舞い酒でいい気分になっているのを良い事に、わたしは、窯の中がどうなっているのかを是非見せてもらいたかったので、ごく近い数人だけしか窯の前に残っていないのを見計らってお願いいたしました。窯の前はさすがに開けてもらえませんでしたが、『後ろに回れば、見れる』と言われ、回ってみると小さな窓から中の様子が良く見えました。当時は、重油で燃やしておりましたので火の勢いもすごく中で祖父は踊っておりました。その後、待合室に戻った私に父が、どうだったと聞いたので『まだレアだったよ。』と答えこの時も『ばちあたり。』と言われました。


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