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でぃびじょん7 1998/10/5 『血は水よりも濃い』 海外編.香港珍道中の巻 |
わたしがこんな性格だからか、家族がこんな性格だからか、とにかくうちの家族は揃いもそろってみんなファンキーです。ある日、母が、何を考えたか、急に『香港に行こう。』と言い出し、わたしの男兄弟3人と家内、そして両親といきなり、香港に行った事があります。だいたい、行き当たりばったりで行こうとするからたまりません。わたしは、飛行機が嫌いです。小学生の時は、パイロットになりたかったのに、何故嫌いになったかと言うと、わたしが、アメリカに留学する時に福島の祖母が『あんな鉄の固まりが空を飛ぶぐらいだったら、冷蔵庫だって東京タワーだって空を飛ぶよ。』と言ったことから、わたしは反論できるほどの知識も知恵もなかったので『なるほど』と思ってしまい、それ以来、飛行機が信じられなくなってしまったのでした。もっとも祖母はまた、『飛行機の窓から、顔出すんじゃないよ。』とも言っていたので、そもそも飛行機なる物を根底から、理解していなかっただに思います。話は元に戻りますが、 そんな訳で飛行機に乗る前は、酒をしこたま飲まないといけません。わたしが、成田でビールを浴びるように飲んでいると、弟と両親が自分達も『飲まないと損をする。』とでも考えたのか、この人たちまで浴びるように酒を飲んで飛行機に乗りました。この時点ですでに、へろへろ状態であったにもかかわらず、乗った飛行機が『シンガポールエアライン』でフリードリンクだったから、泥沼となりました。我が家族は、一人2本ずつワインを飲み、なおかつ他にも水割りだのビールだのと次々に、飲みました。(たった3時間弱の間にです。)わたしの記憶でもこのあたりになると定かではないのですが、トイレに行っている時以外は飲んでいたような気がします。まさに『やんしゅうの酒盛り』です。そんなわけで、まず香港の税関の人に怒られました。うちの家族は私以外英語を話せる人がいません。その上に泥酔しているので何を聞かれても『I AM A JAPANESE.』状態。しまいには税関の人に、あきれられて『あっちへ行け』というような仕草をされやっと入国できた有り様でした。 |
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船上レストランでご飯と酒を『もうたくさん』というほどおなかに詰め込んだあげく、ちょっと『中国の自衛隊のポスターでも作っておくか』というような気分で撮ってみました。この写真をとっていたら、地元の人たちが寄ってきて『何の撮影だい?』『どこの国のコメディアン?』と聞かれ、とりあえず、弟は、『メイド.イン.ジャパン』(意味不明)とこたえておりました。 |
翌日ホテルの前の公園で弟が何を思ったか『運動をしたい』と言うので、組体操をしてみました。この前後にも”歌って踊れる旅行者”を目指していた私たちは、歌ったり踊ったりしていたのでまわりは人だかりとなり、硬貨やお札を投げる人のあとが絶えませんでした。その中には、日本から来た観光客もいて『失礼なやつだな。』と思いましたが、受け取らないのは、もっと失礼だと思い、ありがたく受け取っておきました。やはり、人間は正直で素直が一番だと思います。 | ![]() |
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ビートルズを敬愛するわたしは、どこに行ってもこのアビーロード状態で記念撮影を致します。ほんとは、横断歩道で行いたかったのですが、香港のおまわりさんと運転手さんたちは、とっても気が短いので出来ませんでした。この頃になると、何故か遠巻きに見ていた人も気軽に声をかけてくるようになり『何やってるの』と言う意味の問いかけに対して、弟は、『サインは後でね。』(ますます意味不明)とこたえておりました。それにしても何故か手と足がバラバラです。 |
最後に『とりあえずみんなで写真を』と思い撮りました。多分これが私たちの現地で写した写真の中で一番自然でまともだと思います。左から、三男、家内、わたし、母、次男という構成になっております。今考えてみると洋服も近所の魚屋に買い物に行くのと何ら変わりません。そう言えば、香港の人は、何故、日本人を見ると、『しゃっちょう、しゃっちょう』と声をかけてくるんでしょうか。わたしは、家内と歩いているのに、『しゃっちょう、女紹介するよ。』と言われました。香港人はTPOがわかっていません。 | ![]() |
以上のような騒ぎの後、デューティフリーで時計だの毛皮だの買い物をして、帰ろうと致しましたが、合計金額はどう考えても、どう割り振っても免税額をはるかに超えておりましたので、いもづるで捕まるのは、まずいと思い、まず毛皮は、ブランドのタグをはずし、お店に偽の領収書を(力ずくで)切ってもらい、時計3個は、父と母の下着でくるんでもらいましたが、もともと、計画無しで来ている弟達は、着替えもなく荷物が、ビニール袋だけになってしまい、かえって日本の税関で怪しまれてしまいました。税関の人に、『おみやげは、それだけ?』と聞かれ、3個持っていた、ビニール袋の内2個を差し出して、『母に烏龍茶、父に麻雀パイ』と言って通過しようとしましたが、『残り一個の袋を見せて』と言われ、弟達は、パンツしか入っていないビニール袋を調べられ、結局帰りも税関の人にあきれられて居りました。 |