38さいの独り言


でぃびじょん1 1998/8/19『墓場の黄昏』
私の母の実家は、福島県安達郡の上川崎という所です。小さい頃いたずらばかりしていたので、夏休みなどになると母の実家に預けられました。近所にも同じぐらいの年の子がいてよく釣りをしたり、野球をしたりして遊んだものでした。
その日は、野球をするには人が足りなく、釣りに行くには前の日に大雨が降ったので足場が悪いため、諦めました。一人の子がかくれんぼをしようというので、お墓の近くに有る広場で遊び始めました。時間は、3時ぐらいだったでしょうか。私は隠れ場所を探して知らぬ間にお墓の敷地に入ってしまったのです。話は前後しますが、当時(30年ぐらい前です。)その地域はまだ、土葬でしかも棺桶も今のような寝棺でなく桶型のまさに”棺桶”だったんです。ですから、墓穴を掘るのも大変で、直径2M、深さ2Mぐらい掘るんです。そして、”棺桶”を入れた後にその掘った土を土まんじゅうのように上にかぶせておくんです。何年かすると棺桶の上ぶたが腐って土が中に落ちますので、そうなってから墓石を立てるんですが、わたしは、そうとも知らずにその上に乗ってしまったのです。その途端、まるで落とし穴のように土と一緒に落ちてしまいました。一緒に遊んでた子も探しに来てくれぬまま、わたしは首まで土に漬かって、生臭い臭気の中、動くと、もぐっちゃうし、おしっこはしたくなるし、眠くなるしで大変でした。結局叔父さん が探しに来てくれるまで少年だった私は、
棺桶の中で襲ってくる尿意と眠気と戦いつづけたのでした。今思えば、あのとき、『おしっこをもらさなくて良かった。』と訳の分からないことに感心しています。


でぃびじょん2 1998/8/20『失敗は成功の元』
たぶん、私のホームページをご覧になっているということは、お仕事のページも見ていただいたと思うので私の失敗談についてちょっとだけ説明したいと思います。私どもの会社は元々小さな治工具を作ることを生業としております。今でも、私の個人的な趣味と実益から、大学などの実験機器をお借りして金属組成についての実験をたびたび行っておりますが、その事件が起きたのは、まだ会社を起こす、ず〜っと前のことでした。当日、私は徹マン明けのさらに二日酔いの状態で実験室に居りました。腫れぼったい瞼をこすりながら、思いっきり胃にこたえるコーヒーをのみ、さらに盲パイのし過ぎで感覚の無くなった右手の親指と中指で試験管を持っておりました。その日の実験の目的は、金属の触媒特性の検証でした。窯に金属を入れながら、睡魔と吐き気と闘っているうちに私は、殆ど麻痺している手に持っていた試験管を薬剤ごと窯の中に落としてしまったのです。実験機器は時 間単位でスケジュールが決まっておりますので洗浄する暇も無く、また二日酔いの勢いも手伝って、そのままスイッチを入れたのです。それだけなら何でもなかったのですが、教授と雑談している間に、(申し遅れましたが、この人も一緒に麻雀してました。)『飯を食おう』という事になり、学生食堂へと足を運んだのです。全然寝ていない私たちの胃袋は満たされ、当然のように睡魔が再び襲ってきたのです。.....私たちが目を覚ましたのは、けたたましい非常ベルの音でした。『何事だろう』と騒ぎの元をたどると、何と自分たちの実験室ではないですか。電気を入れっぱなしにされた真空釜は驚くほどの真空状態となり、薬剤の化学変化とヒーターで温度もかなり上がっていたので,大気に押しつぶされ、見るも無残な状態となっておりました。近くに有った器材はすべて吹っ飛び、しかもアンモニアガスのボンベのピンも開放され辺りは、熱とにおいと消化器の粉末で『地獄絵図』の有り様でした。私は片づけながら、異様に硬くなっている金属の試験片を握り締め、『過激派のテロかもしれない』と学長が呼んだ『警察』と非常ベルで飛んできた『消防署』の人たちに、死ぬほど怒られ、また、学長室では教授と二人で正座して謝りましたが、試験管を落としたことは、学長はおろか教授にも当然、黙秘致しました。学長室から帰る途中、教授が『スイッチを消し忘れたぐらいで爆発するはず無いんだけどな。』と、つぶやいた時には少しだけ胸が痛みました。

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